2012年4月8日日曜日

山口法美


 

 

掌編  八 咫 

 

 

 

 

 

序章(プロローグ)

サンドイッチ考

   ぼくは寓話の「コウモリ」である。

  昔、鳥の国と獣の国との間に戦争が在った時、戦局の事態を観戦しつつ、鳥の国が優勢になれば鳥を、獣の国が優勢になれば獣を自称して、身の保全を計ろうとした為、講和が成立した後で、双方から、のけ者にされ、終生、洞窟の中で生きていかなければならなくなったという、例の「コウモリ」のことである。

  蝙蝠(こうもり)には羽翼があるから、飛ぶ真似はできるが、所詮は昆虫の翔鞘みたいなものだから鳥みたいに飛行力がない。嘴の代わりにネズミなみの歯牙がある。動物学的にはれっきとした哺乳類に分類されるが、見た目には、どうも、「ケモノ」だとは言い難い。

 まず、ぼくの話す言葉である。日常使うのはアメリカン・イングリッシであるが、日本人特有のアクセントが人一倍激しいから、この国で生まれて育った未だ十代の息子の足元にも及ばない。

 日本語はもちろん未だ話せる(つもりでいる)。しかし、月に一、二度の買い物で立ち寄る日本人町でしか使わないから、聴くも無残な日本語になってしまっている。日本にいた時から、あまり立派な日本語ではなかったのだから、無理も無いが、国から遥々国際電話入れて下さった恩師が気の毒がって、「大分苦しそうだな。良いから英語で話せ。オレは日本語で話してあげるから。聴くだけならオマエ、未だ分かるんだろう」と言われて、さすがに深刻になった。

 自分の考えを表現するに当たって、言葉のアイデンテティを失うのは、想像する以上に苦しいものなのである。言葉は今更其の定義を論ずるまでも無く、意思伝達の 媒介体(ビヒクル) であるから、其の作業を行う言葉の自主性をうしなうということは、文字どうり言葉の喪失を意味する。「腹が空いた」「頭が痛い」とか言う肉体的な現象の描写はできても、だから、どうしてもらいたいのかという心の微妙な要求を正確に表現できなくなる。大袈裟に表現させてもらえば、意志そのものすら喪失してしまうような危機感すら覚える次第となる。

 次に趣味、好みである。

 「好き嫌い」、「選り好み」はいけないと言われて育ったぼくには、欲しいものをハッキリ言う訓練が出来ていなかった。無理も無い。「欲しがりません。勝つまでは」と言う時代に育って迎えた敗戦。三度の食事は、二度、一度となり、衣類は下着に至るまで親兄弟共同の「オサガリ」と言う生活を、少年期に経験してきたものである。

終日、空腹を抱えて過す餓鬼の口には、何を食わせてもらってもウマかったし、我が身にぴったり合うシャツやズボンなど着た事も無い体には、少し位窮屈だったり、逆にガブガブの衣服をあてがわれても苦にはならなかった。当然お仕着せや、据膳式の生活に慣らされてしまっていた次第だ。

だから、サンフランシスコに来て、まず困ったのは、身の回りに在るべきものを買ったり、食事を外で注文する時の事だった。同じ運動靴にもランニング用、テニス用、ボーリング用が在って、用途に従ってハキ変えるものだと言う事は、理由さえ分かれば便利なものだと感心させられるものだが、スポーツの種類が違えばシャツやパンツまで着替えるものだと言う事を納得するのには少し時間がかかる。

当たり前の事かもしれないが、衣類品にはサイズの違いがある。しかし首の周り、袖の長さ、胴回り、下肢、足の長さなど測った事も無いものが、規格されたサイズを 暗(そら) で言えるわけが無いのだ。

自慢ではないが、新しい靴を履く当初は、痛い思いをして然るべきなのだと思って育ってきているから、自分の欲しいものを品定めするとなるとなると、履き心地よりも、色具合いやスタイルのほうが先に気になる。売るほうが困っているのを、大きすぎたり、小さすぎたりする靴を、ただ、格好が気に入っただけのことで、強引に買ってしまった事も一、二度に止まらない。

靴からにしてこの有り様であるから、シャツやズボンともなると、ぼくと売り子との間での奇妙な会話は押して知るべしである。

歯ブラシにまでサイズが在るのをご存知か。

この国で育ったものの買い物は、自分にぴったり合う事が第一条件であるから、自分のサイズが無ければ、色やスタイルが良いからだけでは買い物をしない。

靴 (シュウズ)を例え話しにした表現の仕方がたくさんある所以である。自分のした行為を正当化する為に当たって、(人それぞれには、事情の違いと言うものがあるのだから)人の批判はそのひとの独自の立場になって評価してもらいたいと言う抗議を申し込むに当たって、「youが若しmyシュウズを履いていたならば、meと同じ行為をせざるを得なかったであろう...」と言う言い回しをするのが其の一例であるが、ぼくの世代の日本人には、今一つピンと来ない表現であろう。


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ぼくの育った日本では、どこのウマの骨かも知れない奴が、ぼくの靴を履けた時代が在ったのだから、そういう生活が在って当然と思っている者に、おまえがおれの靴を履いているとするならばと言ってしまうと、(人の心は大同小異なのだから)人の批判は大極的立場に立って評価しましょう、と言う意味に解釈されるかもしれないからだ。其の解釈では「youがもしmyシュウズを履いていたならば」(If you were in my shoes, ….)で始まる表現の言う意味とはまったく違ってしまう。

身体のサイズを衣料品選択の基準にするのならば、遅れ馳せながら手の先から足の先までを物差しで計って、暗記すれば好いのだから、thrの発音を矯正するほど難しい作業ではない。しかし、意外と簡単でないのがタベモノの選択である。

何を食っても美味く、据膳に慣れされてきたぼくに今更、選択の自主性を与えてくれた所で、何の材料を、どう料理して、どんな味付けにしてもらいたいか主張する訓練が出来ていないから、サンドイッチひとつ注文できる筈がなかった。

渡米したての頃の事である。

デリカテッサンと言う簡易食品店で「ワレ、モトム、ヒトツ、サンドイッチヲ」と、言うと、何のサンドイッチかと聴かれる。

"What kind of sandwiches?"

此れは注文する方が迂闊なのだ。日本や英国みたいに、パンの耳をとって、肉やチーズを挿んだ、短冊形の、出気合のサンドイッチとは違うのであるから、中に挿む物は一切注文する方で定めなければならない。

一番簡単なのは日本でも見慣れたハムのサンドイッチを注文すれば良いのである。しかし、ハムは豚肉に限ったソーセージの一種である事を知らなかった。ハムは直径が大きく、ソーセージは其の小さな物...程度の知識ではハムとバロニヤの違いさえ分からない。形とサイズだけで判断するならば、ハムらしく見える物が何十種類も在るのである。

適当にハムらしいヤツのひとつを指差すと、今度は何のパンにするかと聴かれる。

"What kind of bread?"

パンの種類はフランスパン、コッペパン、それから、食パンしか知らないのだ。うっかり、「フレンチ」なんていってしまうと、十何種もあるフランス産の中から、味や形の違いなどどうでも良いパンを選ばされる羽目に落ち入る。

次はチーズである。チーズは入れるか入れないかと聴く。チーズ抜きのサンドイッチなんか在る物かと思って、「プリーズ」と、頼むと、何のチーズにするかと言う。

"What kind of cheese?"

チーズはチーズではないのか。チーズの種類まで暗記していなければならないとなると、サンドイッチヒトツ注文するだけの事で、面接試験に赴くような思いをしなければならないと言う物だ。まさか、「雪印のチーズ」なんて、言うわけにもいかないから、また、黄色いのや、白いのや、小さな穴の空いているのやら…見本の中のひとつを指で指す。

玉ねぎは入れるか入れないかなんて聴く。

そんな事にまで気を使ってもらえるのかと、感心していると、カラシは入れるか入れないかと聴かれて、目をムクことになる。

この辺までくると、少々、面倒くさくなって来て、一切「イエス」と答えて、ある物は、皆んな入れてもらって置くのが得策なのではないかと考えてしまう。同じ代金を払うのならば、中に詰める物は、多ければ多いほど、得になるのではなかろうか。

終戦直後の生活を、満州と日本で経験した引揚者の悲しみである。

当然、この環境に育った地元の者達が、どんな注文の仕方をするのか勉強の為に、観察する事になる次第であるが、個人の好みを気兼ねなく要求できる「場」の特異性は、「好き嫌い」「選り好み」はいけませんと、いわれて育った者には異常にも見えた物である。

PREFERENCE -プレファレンス- (選択)の自由が認められ、歓迎される所では、個人の好みの多様性が奨励され、その需要を満たす為に、供給者側は献身的なサービスを行う。其の行為がとりもなおさず、 資本主義 (キャピタリズム) と言う経済機構を支え、個人の営業的な利潤につながるのだから、当たり前の事だが、日常生活の習慣と価値観念に違いが在る所に来ていたぼくみたいな者には、戸惑う事ばかりであった。

まず、個人の好みである。

肉や野菜を、有り合わせのパンに挿んで食べる習慣が在って、手近に在る物を自分勝手にサンドイッチにするのだから、個人の好みと言う物は、パンや肉類の知識が豊富であれば在るほど多様になってくる。

パンには小麦を原料にしたものと、ライ麦を原料にした物が在るが、更にイースト菌の使用と焼き方の違いで、白、黒、茶、等と色や形まで変わるから、フランスパン、コッペパン、食パンだけの知識では、百種にあまるパンの種類を識別するのは不可能だ。

ひとくちにライパンと言っても、「 淡い色(ライト) 」と「濃い色(ダーク) 」、フレンチ ブレッドも「 酸っぱい(サワー) 」と「甘い(スイート)」がある。黒パンでもロシアパンとパンパニコルでは、それぞれ、風味も口当たりも違い、其の違いと言う物は、筆や口で表現出来る種類の物ではないから、自分で食べてみない限り分かる物ではない。其れが好きか嫌いかを判断するのはもっと困難だ。


ミニラビオリのパニック発作

中に挿むソーセージや肉類となると、個人の味の好みばかりではなく、栄養学的所見、育った家庭の習慣や宗教的な信念による違いもあって更に複雑になる。

マヨネーズ、カラシ、塩、コショウ、トマト、レタス、玉ねぎ、チーズの材料が在って、其の内の何を入れて何を抜くかと言う判断は、もはや、個人が自分の体質を良く知っていて、専門学的な所信に従っていなければ、とても、選択など出来る物ではない。

もちろん、終戦直後の日本にもそれだけの見識もあって、自他の食衛生に心がける人々はたくさんいた筈である。しかし、物資の供給に絶望的な限界が在って、一億総栄養失調の危機に瀕していたのだ。

「牛肉、豚肉等赤い肉の 蛋白質(プロチン)は良くない。」

「マヨネーズ、バター、チーズはカロリー価が高すぎる」

「鶏卵の過食は慎むべし」

成る程、確かにそうかもしれないが、それは、一文無しに、預金通帳の使用法を教えるような物で、実用性の低い、机上の空論だったで在ろう。だから、そんな学説が在る事など、寡聞にして、渡米するまで知らなかった。

一握りのニギリメシを貰う為に、数時間、列を作って待ったり、一日一回の食事すら保証されない、「時」と「場所」に育った者には、牛肉や鶏卵は、仮にヌスム事はしても、間違っても、ミステル事など考え及ばぬ程、貴重なカロリー源だったのだから。

おまけに、学生時代に肺浸潤の宣告を受けて、食餌療法で、麦メシにバターを混溶したり、チーズの塊を、リンゴを齧るように食べさせられた経験をしている。飢餓の恐ろしさは知っているが、栄養過多と言う現象が食生活に在るなどとは想像した事も無かった。

アメリカくんだりまで来て、ぼくの栄養学的無知を暴露する様になったわけではあるが、好きな物を選ばせてもらえても、なにが好きなのか分からないのだから、始めの頃は、一箱注文すれば、中身をいちいち選択する必要の無い日本のサンドイッチの方を便利に思ったのは当然だろう。

レストランで肉物を注文すると、其の焼き具合の程度、サラダはドレッシングの種類を聞かれるから、あらかじめ答えを用意して置かなければならない。ウエイトレスに「どうぞ、御任せいたします。」と、愛敬を売って、ごまかす事の出来ない問題なのである。客に好みを聴くと言う事は、とりもなおさず、客に選択の主導権を与える事であるから、できてきた物が、客の注文どうりでなかった場合、客が其れを突き返す事ができると言う事である。当然、注文を取る方は客の趣向を正確に聞き取る事をもって訓練されているから、自分の趣向をはっきり表示できない客の扱い方に慣れていない。からかわれたと思って、叱られるぐらいなら未だ好い方で、馬鹿か白痴扱いにされても仕方が無いのだ。

注文して出来てきた料理に塩分が欠けている事が多い。健康上の理由や個人の趣味を配慮して、塩を最大限に控えてあるからで、客は自分で、塩分を加える事になっている。

その辺の事情の分からない頃は、塩のきいていない事に気は付いていても、そんな事にとやかく文句を言わないように育っているから、そんなものなのだと思って食べてしまった。

食塩はテーブルの上においてあるのだから、勝手に手を伸ばせば良い物を、其れを人に見られると、せっかく作ってくれたクックに知られて、礼を失する事になるのではないかと逡巡するうちに、皿の過半は腹中に納まり、オックウになり、出かけた手を控えてしまったと言う方が正確かもしれない。

若し、日本で、マキズシをひとつ注文するのに、カンピヨウを抜いてくれ、タマゴを抜いてくれと注文したら、どんな事になるだろう。カンピヨウやタマゴの入っていないマキズシはマキズシじゃないと言って叱られるのではないだろうか。

しかし、だからといって、マキズシの注文を受けるに当たって、客の趣好を聞いてくれない日本のレストランは不親切だとか、サービス精神に欠けていると批判する者がいたら、其れは批判する方の不見識と言う物であろう。

ここに、日常生活の違う、「東」「西」、二つの世界がある。話す言葉からして違うのである。唯、言葉の違いは音韻と其の発声、語彙の組み立て方と表現上の方法の違いであって、所詮は APPEARANCE-アピアランス(外観、或いは見かけ)の違いで、其の体系(システム) を習得、訓練するならば、意思伝達の用は達せられるのであるから、コミュニケイションを目的とすると言う、言語の ESSENCE-エッセンス (本質)は「東」「西」と言えども普遍的である筈だ。同じ事をレストランで言えば、レストランと言う 公共施設(パブリック ファシリチー) の本質は、飲食物を調理して顧客を歓待する営業である。本質に関する限り、日本もアメリカも違いはなかろう。しかし、顧客を歓待するサービスの方法、すなわち、 見かけ(アピアランス) の違いとなると、「白」「黒」程の誤差が生じてくる。

自分の趣味、好みを選択する基準を知り、其れを正々堂々と発言できる能力を養う事を信条とする「場」におけるサービスと、自分の趣味、好みを白紙の状態にとどめ、選択に当たっては、一切を先方、あるいは標準化された「形」に任せる事を信条とする「場」に於けるサービスでは自ら其の方法が違ってくる。

恐ろしいのは、見かけの違いが異邦人にもたらす、「価値の評価」の混乱である。テーブルの食塩に手を出すのは失礼に当たると思う方が見当違いなのに、思っている当人は、其れが見当違いだと言う事に気が付いていない。一方、自分の趣味を知ってもらう為に、カンピヨウをヌイテ呉れと言う客には、そんなマキズシを作って呉れと頼む態度自体が非常識である事が分かっていない。


チートスでどのように多くのカロリー

郷に入っては郷に従えと言う諺が在るが、口で言うほど容易な事ではなく、人には分からない苦しみを味わう物である。異郷の水に当たって腹を下すぐらいの事ならば、時間と生理の問題であるから、慣れさえすれば水も無害になるであろう。しかし、「価値の評価」のちがいとなると、個人の精神生活の基準まで変えてしまうから深刻だ。

基準の違いも、円からドル、メートルからフイート。摂氏から華氏という形而下の事だったら、理論さえ弁えておれば、簡単に換算も出来るから、此れも慣れの問題である。即ち、五〇フイートと言う距離に実感が無くとも、三〇センチが一フイートに近い事を知っていれば、凡その見当はつくし、百フイートならば其の二倍、十フイートならば五分の一で、論理に一貫性がある。

ところが、形而上での「価値」の基準が違う事になると、物差しのように目で見る事が出来ないから、見かけと本質の関係が必ずしも共通ではない他郷の習慣や生活を評価するに当たって、故郷の価値に換算が出来ないのだ。

レストランで味も素っ気も無い目玉焼きを泰然として、黙々、賞味する羽目となる所為である。しかし、この種の見当違いですめば未だ御愛嬌で、旅の恥は掻き捨ててと、笑っても済ませる。笑って済ませられない事が起こった時が困るのである。

公衆生活を送るに当たって、自己の規制に従って正しくあろうと努めるのは誰しも同じである。自己を規制する「知覚(パーセプション」 を持ち合わせない者は、生後、数ヶ月の幼児、精神異常者でない限り考えられないから、プリファランスの能力が皆無と言うぼくにすら、自己規制のパーセプションが渡米以前から在った筈である。それは、当然、日本と言う「土壌」で昭和三十九年を下限とする「時期」に定着していた知性によって培われたものだったろう。

言語学者によると、完全なる BILINGUAL-バイリンガル (二カ国語同時共用)の能力を身に付ける為には、人は少なくとも六歳迄に両国後の訓練を始めなければならないそうである。小学校に入学してしまった段階では既に遅すぎて、いずれかの言語の発音が他の言葉に影響して、俗にいう、「アクセント」のある言葉になってしまうと言う。

と、いう事は、人は相反する二つの郷の習慣、若しくは 教養 (カルチャー) を完全に自分の物として兼備する為には、幼児の時から両方を同時に習得しなければならないと言う事だ。さもなければ、ぼくの話すジャパニーズ アメリカン英語(イングリシ) みたいなもので、一方は常に他の借り物で、生涯自分のものになり得ない。

これは、趣味、好みの選択の基準、更には自己を規制する「知覚(パーセプション)」 に関しても同様であろう。

成る程、サンドイッチの注文も出来るようになったし、レストランでサラダのドレッシングの選択にもまごつく事も無くなった。しかし其れも所詮は借り物の基準で、其れが証拠に、自分の気に入らないものが出来てきた時に、突き返す事が出来ないのだ。堂々とイチャモンをつけられないのである。

選択の自由がある「場」で自分の権利を本気で主張しているのならば、自分の主張が守られているかどうか 監視(ポリス)出来なければならないのだ。其れが出来ないのは本気で選択していない証拠である。

日本を家出するように出てきてしまってから三十余年。入ってきた「郷」に従うべしと勉めてはきたものの、身に付いた 「知覚(パーセプション)」は日本のものである。従うべき「郷」の習慣や生活(の価値)を評価できずに、過った間違い、逆にぼくがぼく自身を律する日本人の知覚が分かってもらえずに受けた恥辱。思い出すだけでも身を切られる思いの自責、恨み、そして怒りの記憶を、其の代償として、終生、背負っていかなければならなくなってしまった。

東京に不幸が在って、二十年ぶりに帰国した。昭和五十九年の事である。事情が在って四日間しか滞在できなかったが、なんと、未だかって経験した事の無い 「郷愁(ホームシック)」 にかかったのである。日本恋しさからではない。サンフランシスコのアパートを思ってである。

小学生時代から、歩きにあるき回った東京。下町は浅草の雷門から山の手は高輪の白金台に至るまで目を閉じたまま歩いてみせると嘯いた事もある、瞼のウラの「東京」はなくなっていた。裏庭の遊び場だった筈の渋谷は「明治道り」に立ちすくんだまま西も東も分からない。

其処は見た事も、聴いた事も無い外国の都市だった。公衆電話一つかけるのに、小一時間かけてしまったものである。

ぼくを異邦人だと思ったのは、皮肉な事であるが、ぼくだけではなかった。日本人()の方もそう思ったらしいのだ。無理も無い。アメリカは今、全国的なマラソン ブームとあって、ぼくも遅れ馳せながら、毎朝、二十キロを目標に 「駆け足(ジョギング)」 をするから、顔が南洋の土人並みに、真黒である。着ているものと言えば、全て渡米後、「郷」に従って、自分(の選択)で買った物であるから、色や仕立てがケバケバしく夏の日本で着られるような代物ではなかった。そして、口を開いて喋ったのが、ジャパニーズ、アメリカン、イングリシだったから、皆さん気の毒そうに身振り手真似で、「アイ ドント ノウ」の意を表現される始末だった。

「オマエ、汚くなって帰ってきたなあ」

ようやく尋ね当てた「師」のオフイスに入るなり、挨拶代わりに一喝された。


新制中学の野球部時代には、オニのように怖かった監督でもある。悪口雑言、何を言われても腹は立たないが、東京の町で、日本人扱いをしてもらえなかった直後の事である。二十年ぶりの対面の挨拶にはチト厳しかろう。本当に「汚くなった」のではないかと、あらためて、自分の形振りを見直さずには要られなかった。

「酷いなあ。折角、ニューヨーク(入浴)市に行って帰ってきたばかりだのに」

笑ってゴマカシテはみたが、実は内心穏やかではなかった。

緊急に訪れた四日間のふるさとは、町角のショーウインドーの如く、行く先々の交差点を渡る毎に、変わり果てた、われと我が身を映す鏡の役目をしてくれていた。そこには、老いさらばえた「今浦島」か、「招からざる異邦人」の姿しか映っていなかったのである。二十年の月日は「旅」には長すぎたのだろうか。他人様の国を旅行中なのだから、恥をかくのが辛くなれば、旅を止して(日本に)帰ってしまえば、かいた「恥」も「旅の恥」にしてしまおうと言う逃げ道が何時の間にか塞がれてしまっていたような思いだった。

 一時帰国の積もりで降り立った成田空港では、「いらっしゃいませ」と挨拶された。「お帰りなさい」と言ってもらえる積もりだったのである。

 考えてみれば、恥が苦にならないからこそ旅なのであって、恥が苦になり始めたら、生活の空間は例え他人の土地にはあっても、旅はもう終わってしまっていたと言う事である。身軽な筈である旅が、旅先で、月日の垢と埃に埋まってしまい、偶々訪れた不慮の帰国に当たってすら、四日間すら休暇が取れないほど、身動きも出来ない生活をしている身であってみれば、故国は遠い異郷の地になってしまっていてもおかしくないわけである。

 地元の日本人が(金門橋)と書き習わすGolden Gate Bridge は、全長三キロ弱の鋼鉄ケーブル製の大吊橋で、米国  西海岸(ウエスト コースト) 、サンフランシスコの 「象徴(シンボル)」 として知られている。四日間の訪問を終えて、機上から其の橋を眼下に見た瞬間、懐かしさのあまり、不覚にも目頭が熱くなる感慨をおぼえたものだ。其れがいかに矛盾しているかと気がついて愕然となった。

 東京の町でヘンなガイジン扱いをされた事を考え合わせると、明らかに故郷と異郷の位置が転換してしまっていたのだ。

 土地に適応するのが人の習性なのであろうが、「郷」に従うべしと務めているうちに、自分のアイデンテティまで倒置させてしまったのであろうか。いや、そうではあるまい。「自責」「恨み」「怒り」と言う感情を経験するたびに、痛みを最小限に食い止める為、生来の知覚を矯正しようとする作業が、いつの間にやら、規格の「二重標準(ダブルスタンダード)」をもたらす結果となって、日本人としてのアイデンテティは、渡米の時に着て来た、一帳羅の背広みたいに色褪せて、ずたずたに綻びてしまったと言う事だろう。

 其れは、とりもなおさず、トリにでもケモノにでも成れる「コウモリ」の知覚を備えて、トリでもケモノでもない「コウモリ」のアイデンテティを創作する行いとも成りうる。

「東」と「西」の二つの世界で、「二重生活」を、しなければ成らなかったぼくは、二つの世界が断絶する間隙に、紛失した自分の断片を、拾い集めて、新しいアイデンテティを、ジグショー パズルを組み立てていくような、精神生活を送ってきた。

 この手記は、言うなれば、「コウモリ」の知覚を習得した者が、其の知覚故に、ダブル スタンダード の精神生活を送らざるを得なかった「コウモリ」のアイデンテティ成るものを告白する、コウモリのモノローグである。

 もちろん、此れには役得もある。「二重生活」を送ったものには、彼我の「価値の評価」の違いを、身をもって体験してきているから、言葉や体裁の「見かけ」にとらわれず、双方の心の痛みや喜びを見分ける事が出来る。

 仲哉人面(ズラ) をして(東西の)争議を調停できる振りをしたり、相克の原因を解説して、今流行の文化評論家の真似をする事も出来る次第である。

 しかし、所詮は「コウモリ」の悲しさである。ダブル スタンダードの知覚を会得した為に、価値の評価にあたって、絶対的な信条を確立して、普遍的な人の道を説く事は、出来なくなってしまった。

 

 便宜上、比較文化評論の体裁を保つ積もりであるが、本音は本来のアイデンテティを失った者が、失ったアイデンテティの価値を懐慕する手記であるから、やはり「告白」である。しかし、告白は告白でも、出来る話と出来ない話の区別はする積もりであるから、赤恥を晒して、泣いたり、嘲笑ってもらう為の告白ではない。従来、信奉してきた教えに背いたものが、犯した罪を悔いて懺悔するに当たって、其の過ちに理由をつけて正当化しようとするのであるから、免罪符を買い付けて、なおかつ、干犯を重ねる不遜な行いだと顰蹙を買うかもしれない。

 長すぎる前置きとは成ってしまったが、大海に泳ぎ出た井戸の蛙が、井戸の水を渇望しつつ、塩水のキビシサを訴えている様を想像して頂きたい。

 



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